目次
1. 概要
2. 11月4日ジャカルタ・デモ以前
3. 11月4日ジャカルタ・デモ直前
4. 11月4日ジャカルタ・デモ「第二回アホック排斥デモ AKSI 411」
5. 11月4日ジャカルタ・デモ後
6. 12月2日ジャカルタ・デモ「第三回アホック排斥デモ AKSI 212」
7. 12月2日デモ終了後のまとめ
1. 概要
2017年2月15日にジャカルタ知事選が行われる。現在のインドネシア大統領ジョコ・ウィドドはジャカルタ知事を経て大統領になった。国政を左右しうる本選挙の位置付けは大きい。
来年、この選挙に現職知事が出馬する。知事の名は、バスキ・チャハヤ・プルナマ、通称アホック。中華系プロテスタントであり、イスラム教徒が約9割を占めるインドネシアでは属性的に多数派ではない。
さて、このジャカルタ知事選及びアホックの出馬を巡り、ジャカルタ、そして、インドネシアが荒れている。2016年11月4日、「イスラム教を冒涜したアホックを逮捕せよ!」という趣旨で、異例の大規模デモ(5万~10万名規模)がジャカルタで行われ、最終的に暴動に発展した。そして、翌月12月2日、今度は、前回を更に上回る35万名規模のデモが「合同礼拝」という名のもと再度ジャカルタで行われた。
今回、ことの経緯をざっくりと時系列的に残しておきたい。というのは、本件、出だしの出だしから、大手日本メディアやその衛星が毎度のように事実確認なしのミスリードを続けており、恐らくジャカルタ知事選が行われる来年2月までやってくるはずなので、この忘備録を本件の参考資料としてネットに上げておくことにした。11月2日のデモ以降、問題は「他文化を尊重しない中国人」や「インドネシアを襲うイスラーム」、「クーデター」などといった日本人が好みそうなビッグキーワードとは関係ないところで進んでいる模様だ。 (随時更新するかも)
バスキ・チャハヤ・プルナマについて
少し、前置きが長くなってしまうが、ジャカルタ知事アホックの紹介をしておきたい。
バスキ・チャハヤ・プルナマ(Basuki Tjahaja Purnama)は、第17代ジャカルタ特別州知事(2014年11月~)である。通称アホック(Ahok 阿學 *客家の綽名)。以降、本備忘録においてもアホックを適用する。1966年6月29日生まれで、スマトラ島の南に位置するバンカ・ブリトゥン州、ブリトゥン島の出身、宗教はプロテスタント。
2012年、現在のインドネシア大統領ジョコ・ウィドドとタッグを組みジャカルタ知事選に出馬。副知事として当選。実務的政治家のイメージがあり、2013年ブンハッタ・反汚職賞受賞など汚職問題に対する姿勢も評価されている。特定の政党には所属していない。外見的には歯に衣着せぬ物言いが特徴で、数々の発言が賛否両論を含め以前から問題となっていた。
尚、彼はインドネシア初の民主選挙を経て選ばれた中華系のジャカルタ知事であるが、これはジョコ・ウィドド(通称、ジョコウィ。以降ジョコウィを適用)前知事が、インドネシア大統領に当選したために、アホックが自動的に繰り上げ昇格したことによるもの。当時からジョコウィの人気は絶大なものがあり、この波にうまく乗ったかたちである。よって、現在のアホックの知事としての地位はジャカルタ市民の直接的な意志の反映とは言えないかもしれない。中華系且つプロテスタントという属性的マイノリティが、マジョリティである政敵と有権者を相手に知事まで上り詰めるのは容易な事ではない。
それでも実務家でクリーンなイメージのあるアホックはジャカルタ市民から多くの支持を得ていた。また、在インドネシア外国人にも人気が高い。彼は2014年9月、悪名高き地方首長選挙改正案に反対し、当時所属していたグリンドラ党(前回の大統領選においてジョコウィの政敵であったプラボウォの党)を脱党した。その後、特定の政党に属さず、無所属での次期ジャカルタ知事選出馬を表明。アホックの無所属独立候補としての知事選出馬要件を満たすために、ボランティア団体が市民に対する署名活動に奔走した。インドネシアでの政党不信は誰もが認める所である。無所属出馬は市民の賛同を得た。ただし、アホック人気のピークは2016年6月頃まで。アホックは自らの発言を撤回し、7月に政党支持による出馬を表明。結局、PDIP党、ゴルカル党、ナスデム党、ハヌラ党など与党からの支持を取り付けての出馬となった。行政に都市開発は付き物である。特にこれ以降、開発のための住民立退きや埋め立て事業などが、もれなく現職知事批判のネタとされはじめた。尚、次期知事選におけるアホックの対抗馬は、ユドヨノ元大統領の長男で国軍出身のアグス(支持政党:デモクラット党他)と、元教育相のアニス(支持政党:グリンドラ党・PKS党)である。これから説明する事件はそんな折に発生した。以下、時系列。
* アホックについては2016年12月4日時点の日本語wikiを参照してはいけない。生年月日だけでも1961年6月21日、1969年6月29日、1966年6月29日と三つの記載があり、フルネームでカタカナ表記ができない。ピックアップ記事の貼り付けで2014年から放置されている。
2. 11月4日ジャカルタ・デモ(AKSI 411)以前
2016年9月27日
事の発端 アホックのスピーチ
アホックがジャカルタ特別州スリブ諸島を訪問し、住民の前でスピーチを行う。スピーチの内容は現地の事業について。トーク中、次期ジャカルタ知事選に触れた以下の発言。これがのちに大問題となった。
問題発言箇所
心の中では私を選べないと思っている方々もいらっしゃるでしょう。食卓章51節(コーランの一節のこと)とか諸々のナンセンスを使って嘘も付かれているでしょうし。それは皆さんの権利です。
原文は以下の通り。一般的なインドネシア語口語。
Kan bisa saja dalam hati kecil Bapak Ibu tidak bisa pilih saya. Yah kan, dibohongi pake surat Al Maidah 51 macam-macam itu. Itu hak Bapak, Ibu.
問題となったトークの動画
発言の意図と背景
彼は住民の前で「たとえ私が次期知事に当選せずとも、私の任期は2017年10月まであるので現行事業計画は遂行される。皆さんも色々言われてるでしょうが、私を選ばなくても事業は進むのでご安心下さい」という内容のトークを展開した。上記はその下りでの発言。「食卓章51節 *とか諸々のナンセンスを使って」とは、イスラム教徒の政敵がコーランの一節やゴシップなどを使って毎度、有権者を欺いているという主張。インドネシアでは選挙前に宗教や人種、ゴシップに根差したネガティブキャンペーンやブラックキャンペーンがネット上を飛び交う。因みに、アホックはこの下りで会場から笑いを取っている(動画19:12~)。 当地はイスラム教徒多数派の島である。
*ただし、コーランの食卓章51節には「ユダヤ人やキリスト教徒を仲間とするな(インドネシア語翻訳版では「ユダヤ教徒やキリスト教徒を指導者(pemimpin-pemimpin)とするな」)」という内容が記載されており、アホックによる啓典の引用自体に不快を感じるイスラム教徒もまた少なくはない。
10月6日
ブニ・ヤニによる「宗教冒涜?」投稿
大学講師のブニ・ヤニが、自身のフェイスブックアカウントの中で「宗教冒涜?」と題し、上記アホックのスピーチを紹介。その際、アホックの発言内容として、
皆さん [イスラム教徒の有権者] は…食卓章51節に嘘を付かれて… [そして] 地獄に落ちるとも [みなさんが] 嘘を付かれて(原文まま直訳)
という作文を添え、スピーチ映像を投稿。これがネットで大拡散される。原本のスピーチにある「食卓章(コーランの一節)等を使って嘘を付かれている」の下りが「食卓章に嘘を付かれて」と改ざんされている。これは、アホックが「コーランの一節などを悪用して嘘を言っている人々」を「コーランがイスラム教徒に嘘を言っている」に転化し、タイトルの「宗教冒涜?」で結んだもの。コーランはイスラム教徒にとって唯一の啓典である。「コーランが嘘を付いている」ではイスラム教冒涜になってしまう。後に彼はこの投稿で、インターネット法28条「SARA(人種や民族、宗教等の問題)に関する個人・団体等への憎悪を誘発する情報を権利なく故意に流布することを禁じる」の件で容疑者指定を受ける。
以降、日本のネットと同じように、アホックの発言が「イスラムへの冒涜」としてネット上で大拡散する。そして、このブームが10月14日に行われた1回目のデモ「イスラム擁護運動I (Aksi Bela Islam I)」に結びついていく。(ついでにいうと、11月4日以降、日本の大手メディアもこの容疑者ブニ・ヤニの扇動的発言をそのまま使い始める)
10月6日
・イスラム急進派団体の主力であるイスラム防衛前線(FPI)、インドネシア・ウラマ評議会スマトラ支部がアホックを宗教冒涜の件で警察へ通報。
・アホックがインスタグラムで自身の発言に侮辱意図がない旨を説明。
「完全映像を見てほしい。コーランを侮辱する意図はない。コーランや聖書、その他聖典を政治のために利用するようなことはしない」-アホック-
10月7日
アホック支援団体がブニ・ヤニを警察に通報。
10月8日
現地の日本語メディアが『「イスラムを侮辱した」アホック氏発言が波紋 コーランに言及』というタイトルの記事を掲載。本文中に「コーランの51節に惑わされているから、あなたたちは私に投票できない。(中略)地獄に落ちるのを恐れて投票できないというのであれば、仕方ない」という一文を入れて紹介。これは、上記ブニ・ヤニ氏に影響を受けた誤訳というか単なる取材、確認不足。記者に悪意はなかろう。ただし、後に日本の大手メディア他がこの箇所をパクり、ミスリードをあおることになる。
10月9日
・問題発言箇所について、アホックが謝罪を行う。
「全イスラム教徒、または私の言葉で傷ついた方々に対し、謝罪します。私にイスラム教またはコーランを冒涜するような意図はありません。それは映像の雰囲気を見てもらえばわかっていただけると思います。テレビ局も入っていましたが、どの局も冒涜として取り上げていません。」-アホック-
更に彼は「今回の騒ぎについて謝罪します。この争論が長引けば、確実に国民の生活の調和が脅かされることになるでしょう」とも述べた。それが、後に現実となる。
10月11日
・インドネシアウラマー評議会(MUI)本部(インドネシアのイスラム統括的組織)が、「アホックの発言はイスラーム冒涜にあたる」との声明を発表。国に対しアホックへの法的措置を要請。
10月14日
第一回アホック排斥デモ「イスラム擁護運動I (Aksi Bela Islam I)」
ジャカルタ州庁舎周辺で行われたイスラム急進派団体FPIによるデモ。5000名規模のイスラム教徒が集まったと言われる。代表のリジック・シハブは「警察はアホックを逮捕すること。さもなくば我々が彼を殺す」と声を上げ、アホックの排斥を訴えた。また、PAN党の重鎮、アミン・ライスもこれに参列。「正副大統領がアホックを守るなら、我々は州庁舎前のデモにとどまらず、国会議事堂、そして大統領邸をも占拠するだろう」と演説を行う。イスラム教徒及びイスラム団体によるアホックへの批判が、宗教家であり政治家である人物の発言を介して、インドネシア政府批判に結び付けられつつある初期例である。
蛇足ながら、このデモは参加者によるゴミの放置や植え込みの植物、芝生の破壊をネットで揶揄などされた。
3. 11月4日ジャカルタデモ(AKSI 411)直前
11月4日に予定されていた第二回アホック排斥デモは3万5千名以上の参加が見越されていた。属性的マジョリティであるイスラム教徒による、属性的マイノリティの中華系プロテスタントに対する異例の大規模デモということで、1998年に起ったジャカルタ大暴動も記憶によぎる、特に中華系やインドネシア政府にとっては緊迫した局面。インドネシアは宗教や人種問題をトリガーとする数々の歴史的事件や紛争を経験してきた国である。
10月31日
ジョコウィ大統領がプラボウォと面会
ジョコウィが大統領選時代の政敵であり現在、野党であるグリンドラ党の党首プラボウォの私邸を訪れ、会談。プラボウォはジョコウィと乗馬を楽しむシーンなどを提供しこれをメディアが全国配信した。
来年2月に行われるジャカルタ知事選の局面からすると今回のデモは世論調査で当選可能性優位を保ち続けていた現職アホックの人気を叩き落とす絶好の機会でもある。デモの裏には対抗勢力・政党の意図や支援があるのではという論説や噂も広がる所以である。因みにアホックの対抗馬は元教育大臣のアニスとユドヨノ元大統領の長男アグス。アニスはプラボウォのグリンドラ党とPKS党からの支持を取り付け、また、アグスはユドヨノのデモクラット党から出馬する。ジョコウィとプラボウォの会談は11月4日のデモがグリンドラ党主導で行われる訳ではないという印象をメディアを介してインドネシア国民に提供した。
11月1日
ジョコウィ大統領が、インドネシアウラマー評議会(MUI)、ナフダトゥル・ウラマ(NU)、ムハマディアの指導者らと会談を行う。大統領は、イスラムとインドネシア的なものは対立するのではなく共に守られるべきであるとし、インドネシアのイスラム指導者に対しインドネシア共和国としての結束を要請した。3日後に行われるデモをにらんだ会談である。
11月2日
ユドヨノ元大統領による異例の会見
ユドヨノ元大統領がデモ直前に異例のプレス会見を行う。元大統領は、
「公正を要求する人々の怒りでこの国が焼かれたくなければ、例外なくアホック氏にも法の手続きを踏ませるべき」ーユドヨノ元大統領
とデモの正当性を述べながら、
「政府諜報部がデモや一連の動きを一定の人物、一定の党によるものだとしており、デモクラット党は耐え難き中傷を受けた」ーユドヨノ元大統領
と自身に投げかけられた疑惑を牽制をした。先に述べた通り、長男アグスが出馬する2月のジャカルタ知事選に絡んでの発言である。アホック知事の支持、ひいてはジョコウィ大統領の支持を下げるデモ行為を支援し、アグスの政治舞台を演出しているのではないかという疑惑に対する返答である。アグス自身もインスタグラムで「11月4日の件(デモ)をユドヨノが動かし資金援助しているという非難は常識を超えた酷い中傷」と世論に対し批判を展開している。しかし、私、個人的にはユドヨノ元大統領によるこの発言自体はマイナスに作用してしまったように思う。これは、後に行われる政府の巧みな戦略による。
11月4日
4. 第二回アホック排斥デモ「イスラム擁護運動II (Aksi Bela Islam II) 通称AKSI 411」
平和裏に進んだデモ
デモ参加者は5万~10万人。近年まれにみる宗教ベースの大規模デモは、お昼の金曜礼拝後に一定の秩序のもと平和裏に進行した。デモ参加者の中には以前から問題視されていたデモ後のゴミや植え込みの破壊などに対応するため、ゴミを組織的に回収、現場の写真をネットにアップロードなどした。警察もジルバブ着用の女性部隊を動員しデモ参加者らと記念撮影を行うなどのコミュニケーションが取られた。とはいえデモの主旨は「イスラムを冒涜した異教徒を逮捕せよ」である。汚い言葉も飛び交い、小さな小競り合いもあった。また、「アホック逮捕」「宗教的平和」のスローガンからずれた面々も各々のパフォーマンスを行った。ミュージシャンのアフマッド・ダニは「大統領は犬」と叫び、国会副議長のファフリ・ハムザは「大統領を引きずり落とす方法は2つ。議会か街頭かだ」と標的を大統領にすり替えて大衆を煽った。しかし警察が厳守していたデモ解散時間の18:00まで、大きな破壊活動は起きなかった。
暴動
デモ解散時間の18:00を過ぎても帰らないデモ参加者が治安部隊に対し投石などを開始、警察は催涙弾で対応。騒ぎは収まらず、デモ参加者は警察機動隊車両2台を含む計3台の自動車を破壊、焼いた。又、一部はジャカルタ北部(アホックが住む町)に飛び火し、コンビニ一店舗が略奪に遭った。最終的に本暴動で約350名が負傷。警察発表では1名が喘息により死亡した。(現場の様子は以下の映像を参照下さい)
治安部隊とデモ隊との衝突の様子
解散
11月5日深夜0:00頃、ジョコウィ大統領が緊急記者会見を行う。彼は、平和と秩序の上で行われたデモを称賛しつつ、「解散すべきデモが暴動に発展してしまったことは遺憾だ。我々はこの機会を利用した政治的アクターの仕業と見ている。バスキ・チャハヤ・プルナマ氏(アホック)に対する法的手続きは厳格、迅速、そして、透明性を以て行われる。副大統領経由で君らの代表にもそう伝えた。よって、デモ参加者の皆さん、秩序を保って各自の家へ帰ってください」と発表。結果的にこの演説でデモは実質、終了。クロージングは大統領自らが行った。
5. 11月4日ジャカルタ・デモ(AKSI 411)後
11月5日 日本大手メディアが一斉に未確認&手抜き記事を掲載
何をトチ狂ったのか、日本の大手メディア(新聞・TV)が横並びで、先のブニ・ヤニ(ネット扇動で容疑者指定)がアップロードした扇動的作文をアホック知事の発言として紹介。しかも、全社、翻訳がほぼ同じ。なんだこれは。
NHK
「コーランに惑わされているから、あなた方は私に投票できない」
朝日
「コーランに惑わされているから、あなた方は私に投票できない」
読売
「コーランに惑わされているから、あなたたちは私に投票できない」
毎日
「コーラン(イスラム教の聖典)に惑わされているから、あなた方(イスラム教徒)は私に投票できない」
産経(11/20)
「コーランに惑わされているから、あなたたちは私に投票できない」
BLOGOS
「コーランの一節に惑わされているから、あなたたちは私に投票できない」
その他、各テレビ局、一律同じ。
アホックの発言したインドネシア語を普通に翻訳するとこうはならないし各社細かい差異が表れて当然だと思うが、ここまで全社、誤訳が同じだとコピペ(集団カンニング)を疑ってしまう。おそらくコピペの元は、先の10月8日にアホックの発言を紹介した現地日本語メディアの
「コーランの51節に惑わされているから、あなたたちは私に投票できない。」―じゃかるた新聞
が一番古い。扇動容疑者の発言で日本人を扇動し事の発端すら確認しないでネットからのコピペで済ます日本の大手メディア。嗚呼、日本メディア。
因みに、こういったミスリードは、本件をセンセーショナルに扱うための「他文化を尊重しない中国人」や「インドネシアを襲うイスラーム」といったテーマに結びついていく。 「多様性はすばらしい」ぐらいで結んでおけばいいと思っているレベルの仕事ぶりが多い。
11月5日
警察、見た目が非イスラーム系容疑者の写真を使って記者会見
警察が暴動容疑者の説明を東部インドネシア・マルク出身の一青年の写真を使って説明。これは恐らく印象操作である。本件は異教徒の発言を非難したイスラム教徒によるデモである。現場の映像からも明らかなように暴動現場は白装束たちの現場でもあった。彼らの容姿はこのケースにおいては象徴的にイスラームである。しかし警察はマルク出身者の写真をわざわざ公開した。マルク青年のそれは何を意味しているか。これはイスラムデモに便乗して暴動を画策した輩に雇われたチンピラ扇動者のイメージである(因みに彼はジャカルタにある大学の学生でイスラム学生協会のメンバーであった)。事実、この写真が公開されたのち、イスラム識者やネチズンがこの写真を利用して「暴動を扇動したのはいったい誰ですか?(注:イスラム教徒ではなく雇われチンピラだと言いたい)」とやった。
以降、イスラム教徒を刺激しないための政府の配慮が至る所で見られる。これらは本件のSARAに関わる宗教・人種問題への発展を防ぐために行なわたのではないか。SARAを戦略として使われ治安の混乱を招いた場合、現政権にメリットはない。次期政権候補への期待感が発生するだけである。と同時に、政府機関の口からも「政府転覆」というキーワードが呟かれ始めた。
11月16日
インドネシア警察アホックを宗教冒涜罪の容疑者として確定
公開捜査会議の結果、アホックの宗教冒涜罪に対する容疑が確定、アホックは刑事事件の容疑者として送検、起訴されることになった。彼に対する出国禁止措置もとられた。
これを受け、警察長官ティトは「これでもデモを行う輩、デモの参加を呼びかける輩はもうその理由がなくなった。それでも君らがデモを行い騒動を起こした場合これはアホック問題とは関係がない。法律違反として我々は君らに立ち向かうだろう」と述べ、アホック問題とデモとの切り離しを図った。又、インドネシア・ウラマ評議会議長も「本件は個人的性質の事件。一定の宗教との関連はない。宗教や人種を持ちだし感情的にならぬように。ムスリムとクリスチャン、中華系と我々は友好関係を保たねばならない」と述べ、宗教対立とデモとの切り離し、端的に言うとイスラム教と今回のデモに関わるSARA部分の責任の切り離しを図った。これらは、11月25日及び(又は)12月2日予定の次回デモ及び今後のSARA問題への牽制である。そしてこの牽制のための生贄はジャカルタ知事一人で十分かと思われた。
11月18日
アホックに対する支持率の低下
世論調査機関LSI Denny JAによる次期ジャカルタ知事選世論調査(10月31日~11月5日)でアホックへの支持支持率の低下が顕著に。アホック組の支持率は 7月の49%から24.6%へ減少。また、容疑者が確定した想定での支持率は10.6%。対してアグス組(ユドヨノ息子)は30.9%、アニス(元教育相)組は 31.9%という結果。11月27日 発表のポールトラッキングによる世論調査(11月7日~17日)では、アグス組 27.29%、アホック組 22%、アニス組 20.42%。同じくアホックの支持率は低い。
11月23日
ブニ・ヤニもネットを使った扇動の容疑で容疑者確定
そして、「宗教冒涜?」記事をネットに上げた張本人であるブニ・ヤニも、インターネット法28条「SARA(種族・宗教・人種・階層など)に関する個人・団体等への憎悪を誘発する情報を権利なく故意に流布することを禁じる」の件で容疑者指定を受けた。理由は、「宗教冒涜?」タイトルと先に掲載した作文部分全てが適用法に抵触しているからとのことである。
インドネシアでは宗教紛争に関する解決策として喧嘩両成敗的な措置がとられる印象がある。例えばイスラム教徒による教会への暴動で暴動者は逮捕、但し教会側の活動にも非があったとして両宗教に対して痛み分けを施し憎しみのバランスを取るといったものである。
11月4日デモ以降の大統領の動き
ジョコウィ大統領は11月5日、予定されていたオーストラリア外遊の延期を発表、その直後から、極めて精力的にインドネシアの各権力基盤やステークホルダーとのコミュニケーションを図り、且つこれらはメディアによって全インドネシアへ配信された。ジョコウィの対話主義、現場主義は有名であるが、その真骨頂は自身の行動力をベースとしたメディア戦略にある。一言で言うとジョコウィは「歩く政府広告塔」である。このやり方はソロ市長時代からぶれない。デモ以降の彼の行動は国民に何を印象付けさせたか。11月5日以降の彼の足取りは以下の通り。
11月5日
オーストラリア外遊延期を発表
11月7日
最高司令官として陸海空軍兵士2185名の前で演説、結束の表明、一人ひとりと握手。
11月7日
ナフダトゥル・ウラマの指導者層と会談。
11月8日
インドネシア警察を訪問。地方警察長官や警察高官638名の前で演説、結束の表明。
11月8日
ムハマディヤを訪問。アホックに対する擁護は行わないと明言。
11月9日
イスラーム宣教組織(LDII)全国大会に出席、演説。結束を表明。
11月9日
ジョコウィが国軍司令官ガトットを横に据え、ガトットの更迭は無いと記者会見。
11月4日デモ・暴動の後、国軍司令官更迭の噂が流れた。彼はユドヨノ政権時に陸軍参謀長、戦略予備軍司令官を務めている。そしてユドヨノは国軍出身の大統領。ガトットの更迭の噂は、先日の暴動を契機に国軍内が分裂していることを示唆するものである。それを大統領は本人を同席させた上で明確に否定した。ユドヨノ元大統領は自身のデモへの関与はないと事前に表明したが、もし大統領として10年国軍を配下に置いた彼の元部下が忠誠のあまり「勝手に」動いたとするとどうなるか。インドネシアでは国軍がチンピラをアウトソースし、街中で破壊活動を扇動するというケースが起こりうる。
翌日からジョコウィはガトット司令官を引き連れ、怒涛の各軍訪問を開始する。
11月10日
陸軍特殊部隊コパススを訪問、演説。結束を表明。
11月10日
西ジャワ、バンテンのキアイ、ウラマと会食、会談。
11月11日
警察機動隊を訪問、演説。結束を表明。
11月11日
インドネシア海兵隊を訪問、演説。結束を表明。
11月12日
PKB党の全国ウラマ会議に出席し演説。アホックに対する法手続きの重要性を説明。
11月13日
PPP党のウラマ全国会議に出席し演説。結束を表明。
11月13日
PAN党(ムハマディア)の全国会議に出席し演説。結束を表明。
11月15日
インドネシア空軍特殊部隊を訪問、演説。結束を表明。
11月15日
インドネシア国軍地方司令官、地域司令官を訪問、演説。結束を表明。
11月16日
陸軍戦略予備軍を訪問、演説、結束を表明。
11月17日
グリンドラ党党首プラボウォと会食、会談。
11月21日
PDIP党首メガワティと会食、会談。
11月22日
ナスデム党党首スルヤ・パロと会食、会談(朝)
11月22日
PPP党首ロミーと会食、会談(昼)
11月22日
ゴルカル党党首セティヤ・ノファントと会食、会談。(夕)*22日は三党首と三会食を行った。
11月24日
ナフダトゥル・ウラマの大会に出席、演説。
11月26日
マカッサル視察。漁港などを訪問。イスラム有識者らと会談。
11月29日
PKB党首ムハイミン・イスカンダルと会食、面談。
11月30日
PAN党首ズルキフリ・ハッサンと会食、面談。
このようにジョコウィは3週間で、国軍・警察全体(陸海空軍、陸軍特殊部隊、陸軍戦略予備軍、国軍地方司令官・地域司令官、空軍特殊部隊、海兵隊、警察機動隊、地方警察長官/高官)、イスラム(NU、ムハマディヤ、キアイ、ウラマ、LDII、PKB党系ウラマ会議、PPP党系ウラマ会議、PAN党)、そして各政党(PDIP党、ゴルカル党、ナスデム党、PKB党、PAN党、PPP党、グリンドラ党、*ハヌラ党に関しては党首が調整相のため会談不用)との結束を自身の行動力とメディアを以て全国民に印象付けさせた。(尚、この間にシンガポール首相他、外国首脳との会談、ビジネス会談、外島への地方視察などもこなしている)
また、政党会談は個室を使った二者会食という形で大統領と各党首との関係の良さを印象付けた。ところで、短期的には12月2日デモを見越した政権維持、治安維持のために行なわれた大統領による直接訪問及び会談。これら大統領(政府)の組んだスケジュールから外れているステークホルダーはどこか。ジャカルタ知事選で息子が出馬するデモクラット党党首ユドヨノ元大統領とPKS党である。同じ野党のグリンドラ党首プラボウォとは2度の会談が行われているにも関わらずである。これではユドヨノ元大統領に策略がなかったとしても国民は一連の事件を彼らと結び付けざるを得ない。これは意図的な演出かもしれない。
6. 第三回アホック排斥デモ「イスラム擁護運動III (Aksi Bela Islam III) 通称AKSI 212」
集団金曜礼拝という名のもとで行われたデモ
12月2日のデモは、前回デモ参加者を大きく上回る35万人以上が参加する巨大デモとなった。前回のデモが金曜礼拝後に行われた街頭行進であったのに対し、今回のデモは独立記念塔がそびえ立つムルデカ広場での集団金曜礼拝をピークとする集団礼拝に重きを置いたデモである。
大統領の登場とクロージング
さて当日の午前中、ジョコウィ大統領はこの巨大デモの存在を無視するかのようにアジアンゲーム会場の現場視察を行っていた。実は、11月4日のデモの際も、平時を演出すべく敢えて空港鉄道現場の視察を行い、一部イスラム教徒から反感も買っていた。今回は違った。デモ現場のテレビ中継が、「大統領がデモ参加者らと共に礼拝を行うらしい」というニュースを流し始め、更に「大統領邸から徒歩でムルデカ広場に向かっている」との情報をリアルタイムで続けて出した。そして、同時中継の映像は、雨の中、傘をさして歩いて広場に向かう大統領を捉えた。ジョコウィ大統領は、デモ参加者らと共に雨の集団礼拝を行った。その直後、ジョコウィは群衆に押されながら演壇に立ち皆の前で短い演説を行う。
まず、我々の国民と国家に対する皆の祈りに感謝する。
アッラーは偉大なり。アッラーは偉大なり。アッラーは偉大なり。
そして、全イスラム教徒が秩序だって参加してくれたおかげでこの催しが全て滞りなく進んだことに対して、最大級の賛辞を送りたい。
アッラーは偉大なり。アッラーは偉大なり。アッラーは偉大なり。
最後にありがとう。そして、皆さん、気を付けて各自の家に帰ってください。
Wassalamualaikum warahmatullah wabarakatuh.
自ら現場に下りイスラム教徒のデモ参加者らと共に祈った大統領とデモ会場の一体感。ここに、11月5日のオーストラリア外遊延期から始まったジョコウィ流ロビーが、一つの完結を見せた。イスラム教徒の一人として平和デモの成功に参加した国の指導者。メディアを介したインドネシア共和国物語の演出である。果たしてこの結果を政敵は予期していただろうか。かくして12月2日のデモは暴動もおこらず終息した。
ジョコウィ演説の様子
政府転覆罪の適用
11月21日
・11月4日のデモ・暴動直後にジョコウィ大統領は「解散すべきデモが暴動に発展してしまったことは遺憾だ。我々はこの機会を利用した政治的アクターの仕業と見ている」と意味深な発言を残したが、この発言に続き、警察長官のティトが、11月25日に関して「国会議事堂に侵入し、国会を占拠しようと試みるいくつかの活動があるとの報告を受けている」、そして12月2日のデモについても「宗教冒涜問題から外れた政治的なもの、政府転覆を試みる活動を察知している」と発表した。
・同日、ジョコウィ大統領もメガワティ元大統領との会談時に「別の利害に絡んで便乗を試みている輩がいる。政治的な人物らがこの状況を利用しようとしている。私にとっては、そういうものは日常的」との発言をしている。
12月2日
12月2日当日の大規模デモ・集会の直前に、退役軍人、政治家、活動家、アーティストなど11名が、政府転覆罪、大統領侮辱罪、インターネット上でのSARA(人種や民族、宗教等)に関するヘイトスピーチ等の件で一時的に身柄を拘束される(ジャムラン・リザル兄弟とスリビンタンは12月3日現在も拘束中)。拘束者は以下の通り。尚、警察発表では全員容疑者確定。以下、簡単な人物紹介。
a. 国家転覆罪に対する容疑 8名
キブラン・ゼイン(1946年生まれ)
陸軍退役少将。プラボウォが戦略予備軍司令官時代の同軍参謀。
アディヤ・ワルマン(1945年生まれ)
陸軍退役准将。先の大統領選ではプラボウォを支持。
ラフマワティ・スカルノプトリ(1950年生まれ)
インドネシア初代大統領スカルノの娘であり、第五代大統領メガワティの妹。グリンドラ党所属。姉とは仲が悪い。
ラトゥナ・サルンパエット(1949年生まれ)
アーティスト、民主・人権活動家。
スリ・ビンタン・パムンカス(1945年生まれ)
民主運動家。スハルト政権時、大統領侮辱罪で投獄されている。
フィルザ・フセイン
スハルト元大統領を理想とするチェンダナ友好連合財団代表
エコ・サンジョヨ
プロポール党幹部
アルビン・インドラ(12月3日、政府転覆罪容疑者として警察から追加発表)
b. 大統領侮辱罪に対する容疑 1名
アフマッド・ダニ(1972年生まれ)
ミュージシャン、経営者、政治家。2017年度ブカシ首長選挙出馬予定。支持政党はグリンドラ党、PKS党、デモクラット党。日頃からアホックとジョコウィの批判をしている人。
c. インターネット上でのSARAに関するヘイトスピーチ 2名
ジャムランとリザル・コバル。二人は兄弟で両者ともイスラム学生協会関係の活動家。
の計11名。本件に関連し、グリンドラ党首プラボウォは「民主主義における政府批判は認められた権利であり大統領侮辱罪適用は行き過ぎ感がある」と批判。 警察広報は政府批判と政府転覆容疑の違いを、「大衆を利用し国会議事堂を占拠し、現政権の解散、新政権発足を求める特別議会の開催を強要する計画があった」と説明した。
某メディアでは「インドネシアでクーデター未遂?」と題し「12月2日のクーデター未遂事件として大々的に報道云々」と掲載していたが、そういった事実はないし、与党数が数で圧倒する中、現役将校どころか一人の現役軍人の逮捕・拘束もない一連の活動を「クーデター」と表現するのはおかしい。
警察は、11月4日に、5~10万人規模のデモに対処し暴動も経験した。12月4日のデモは35万名以上の参加という事前予測もあり、もし相応数での暴動が起こってしまえば物理的に対応が出来ない。政府転覆のための具体的な実行能力を持たない、特に、民間人に対して政府転覆罪を適用する強権ぶりは賛否を生むが、今回の政府転覆罪の適用は、最悪のケースに対する低コストな事前対処であったのではないか。また、モデル化しつつある大規模デモが今後も続く限り、警察に対しても同様のコストがかかり続ける。警察は、資源が限られる中で、具体的な回答、対策を出さねばならない。それらをにらんだ上での政府転覆罪という強権発行であったのかもしれない。
7. 12月2日デモ終了後のまとめ
ジャカルタ知事候補の一発言が、最終的に次期知事選、ひいては次期大統領選にも影響を及ぼす政治的な駆け引きの場に発展したとするならば、今回のジョコウィによるデモ参加者との集団礼拝は、現政権にネガティブインパクトを与えたかった勢力にとっては、ある意味不測の痛手となったはずである。また、その陰でデモをトリガーに躊躇なく政府転覆罪が適用され民間人含む複数名が即時拘束された。といったところで、12月2日デモは、インドネシアの一定イスラム教徒の自尊心を満たしはしたが、受益者の観点からは、次期知事選における現職知事に対する対抗勢力、混乱を平定し政権への支持を保ったインドネシア政府(及び与党・国軍・警察の内外関係)、そして、政府転覆罪適用による治安維持の既成事実を作った警察機関といったところがポイントになるのではないか。(2016/12/5 記)
参考:
アホックによる謝罪 kompas.com
イスラム擁護運動I (Aksi Bela Islam I) tempo.co
イスラム擁護運動II (Aksi Bela Islam II) liputan6.com
11月4日暴動後の大統領記者会見 detik.com
アホック容疑者指定 bbc.com
ブニ・ヤニ容疑者指定 cnnindonesia.com
ジャカルタ知事選世論調査1 kompas.com
ジャカルタ知事選世論調査1 kompas.com
11月4日以降のジョコウィの活動1 内閣官房公式サイト setkab.go.id
11月4日以降のジョコウィの活動2 ジョコウィ公式ツイッター @jokowi twitter
12月4日の大統領演説 detik.com
国家転覆罪の件 tribunnews.com