インドネシア麻薬死刑囚フィリピン人 メリー・ジェーン物語 第二話

メリー・ジェーン物語、第二話。ジョグジャカルタでの獄中生活から死刑執行直前まで。第一話はコチラ

獄中での日常

メリー・ジェーンは2010年4月24日にジョグジャカルタ・アジスチプト国際空港で麻薬密輸犯として逮捕されて以来、約5年をジョグジャカルタ内の刑務所で過ごしている。当時インドネシア語はおろか英語も出来なかった彼女は、この5年でインドネシア語だけでなくャワ語も流暢に話せるようになったという。それどころかジャワ語の方が得意だということだ。これらは彼女と刑務官や受刑者との関係を示す好例である。同様に彼女の刑務所内でのエピソードからは、彼女の人間性が垣間見ることが出来る。

刑務所内のメリーの友人らによると、メリーは人付き合いが上手く、更に、良く言えば気遣いがあり、悪く言えばお節介な性格であったらしい。彼女は同室の受刑者の洗濯を代わりにやってあげたり、本人はカトリックにもかかわらず、イスラム教のお祈りの時間にはムスリムの友人にそれを何度も伝え、朝の礼拝時間には同室の友人をたたき起こしたりしていたとの事である。このように大半の受刑者がイスラム教徒の中、外国人でありカトリックである彼女は、他の受刑者とも良好な関係を作っていた。

メリーの編んだスカーフ。姉へのプレゼント -rappler.com-
メリーの編んだスカーフ。姉へのプレゼント rappler.com

バレーボールやダンスが大好きで、毎週木曜日の朝は友人らとポチョポチョダンスの練習をするのが習慣だった。その他、編み物が得意で、暇があれば、ニット帽やスカーフなどを作り、これらは刑務所の出入り業者や刑務官らが購入した。収入は彼女のもので、それでジーパンなどを買った。

彼女は刑務所外にも、インドネシア人の親友がいる。それはボランティアや慈善団体ではない。刑務所に出入りするジャムー(インドネシアの伝統ハーブ薬)売りのアンドレアス(54)はメリーを自分の養子だと自認している。彼はインドネシアにおける彼女の里親として信頼を得ており、フィリピンからの仕送りを届けたり、外に出られない彼女の代わりに市場で買い物をしてきた。メリーも、彼に記念のニット帽をプレゼントした。

刑が確定した後の彼女は、今まで以上に、礼拝に時間を費やした。刑務所では彼女にロモというカトリックの聖職者が付いた。彼は今後の彼女を大きく支えていくこととなる。メリーの弁護士イスマイルによると、彼女はロモと出会って以来、死刑に対し冷静に向き合い、そして死を恐れなくなったという。メリーは死刑についてロモと多くの議論を交わし、最終的に「その時が来れば死はどこでだって訪れる。もし私が無罪になったとしても、運命がそうであるならば車に轢かれて死ぬこともあるだろう」そう、自身が言えるようになった。

最後に、処刑場への移送を待つ日々の中、彼女は、ピザとドリアン、アイスクリームが食べたいと愚痴をこぼした。食べ物の話が出来るほどの心の健康と平常心を得ていたのだ。

 

カルティニの日

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カルティニをバックに笑顔のメリー

メリーの刑が迫りつつある4月21日、インドネシアでは「カルティニの日」が祝われていた。カルティニとはわずか25歳でこの世を去った(1879年生~1904年没)インドネシアの民族主義者・女性解放運動家の女性である。ウィログナン刑務所でもカルティニの日にイベントが行われ、受刑者や刑務官らは、束の間の余暇を楽しんだ。メリーは、ファッションショーとバレーボール大会に参加した。ファッションショーではオリジナルのクバヤ(インドネシア女性の伝統服)を纏い、見事三位に入選した。バレーボール大会でもチームは準優勝に輝いた。この時の様子は現地メディアでも伝えられたが、写真を見て頂きたい。彼女は笑っている。それどころか笑顔をサービスしているようにも見えた。刑務官らとの恐らく最後となるであろう記念撮影にも笑顔で応えた。とても数日後に死刑を迎える女性には見えない。 私は当時、「カルティニの精神、女性の精神。未来を見つめるために」と書かれたカルティニの横断幕を背景に笑顔で両手を上げポーズを取るメリー・ジェーンの写真を見て、これはインドネシアの悪夢だとツイッターで呟いてしまったことがあるが、彼女の笑顔は、そういう私の弱小な心や、インドネシアの悪夢の遠く及ばないところにいた。カルティニの日とは、メリー・ジェーンの日であったのかもしれない。 我々はロモにも感謝する必要がある。宗教は本来目的の効果を最大限に発揮した。

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刑務官とも笑顔で記念撮影
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皆の前でマイクを構えるメリー
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とても数日後に死刑を控える女性には見えない。強い。

 

 

処刑島への護送

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インドネシア警察機動隊装甲車バラクーダ

さて、その頃インドネシアではアジア・アフリカ会議が開催されており、最高潮であるイベントとして4月24日に、アジア・アフリカ会議発祥の地、西ジャワ州バンドゥンにてアジア・アフリカ会議60周年記念式典が盛大に執り行われた。 その華やかな舞台の裏、中部ジャワでは、インドネシア警察と国軍が慌ただしく動いていた。4月24日明朝、メリー・ジェーンはおそらくは慣れ親しんだであろうウィログナン刑務所から、警察機動隊の装甲車バラクーダに乗せられ、国軍・警察による完全警備の中、インドネシアの監獄島と呼ばれる処刑場のある島、ヌサカンバンガンへ静かに護送された。ヌサカンバンガンにはメリー同様に死刑宣告を受けた麻薬犯が既に移送完了されており刑の執行を待つのみとなっていた。彼らはまとめて銃殺される。彼女のヌサカンバンガンへの来訪は彼らの死を意味した。

尚、ウィログナン刑務所から出発時の彼女の様子をウィログナン刑務所署長ザイナルアフリフィンはこのように述べている。 「彼女はもう泣かなかった。カトリック教徒である私の部下2名と共に祈っていた」

 

死刑執行前夜

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メリーの十字架。ここでは日付が伏せられている

4月28日、中部ジャワ、ヌサカンバンガン島では、翌朝明朝に行われる受刑者9名に対する死刑執行の準備が粛々と進められていた。前日の4月27日、現地メディアは、ジョグジャカルタの棺桶製作会社や十字架製作会社を取材し、受刑者用の棺や十字架の存在を確認していた。メリーの十字架には「RIP Mary Jane – 29-04-2015」と記されていた。 当時、インドネシア政府は刑執行の正確な日時を公表していなかったが、十字架に記された彼女ら受刑者の名前と日付で、死刑執行日はほぼ確実となった。4月29日に決行である。

さて、死刑執行前日、マレーシアではアセアン首脳会議が開催されており、フィリピン大統領アキノ三世は、この場を利用し、メリーに対する最後の減刑をインドネシア大統領ジョコ・ウィドドに直談判していた。実は、死刑予定日前日、フィリピンではメリーをインドネシアへ送ったクリスティナが警察へ出頭したというニュースが流れていた。フィリピン政府はこのネタを切り札とし、メリーを人身売買事件の被害者兼、証人と位置付け、インドネシアでの刑執行の中断及び、フィリピンへの返還要求を行おうと試みた。土壇場に来て何かが動き出すのかとも思われたが、当日、インドネシア最高検察庁長官プラセトヨは「中止という噂が広まっているそうだが、刑は予定通り執行する。今晩の刑が中止になるような如何なる理由も存在しない」と質し、更に「もし証拠があるというなら、なぜ今になって示してくるのだ。本来なら始めから提出してしかるべきものを。こちらはメリーに関して手続きを踏み長い時間を費やしてきた。その間なら我々は彼らの証拠を公に受け付けていただろう。しかし、全てが完了した今になって、証拠があると言われてもそれは引き伸ばし工作と捉えられて仕方が無かろう」と切り捨てていた。

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死刑囚の十字架。2015年4月29日という日付が見える
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印字はこうやって型枠を使って手作業で行う

 

 

死刑執行直前

4月28日23:30頃、メリー・ジェーンはヌサカンバンガン刑務所の隔離室で最後の恐怖に怯えながら、自分の名前が呼ばれるのを待っていた。受刑者一人ひとりが隔離室から呼び出され、銃殺刑が行われるヌサカンバンガン島の射撃場へ移送されるのだ。彼女は他の隔離室のドアが次々開けられ、受刑者達が部屋から出ていく音を聞いていた。 他の受刑者の名前が呼ばれている間、隔離室の中でメリーは硬直して起立し、部屋のドアをずっと直視していた。既に白のシャツに着替えた。準備は出来ていた。メリーの隔離室のドアは一番最後に開けられた。

隔離室から出た彼女は、これから運命を共にする受刑者一行へ合流しようと歩を進めた。

と、その時、慌ててメリーを追う集団があった。一人の検察官がメリーの歩みを制してこう言った。

「メリー、部屋に戻ってください。貴女の刑は延期されました」

 

続く

 

※ 尚、本件は現在も司法手続き中であり、原則下記のソース他を参考に記事を作成しておりますが、彼女の冤罪を訴える記事ではなく、飽くまで参考資料の一つと位置付けて掲載しています。 又、本記事内容に対する責任は当方では一切負いません。

 

参考:
http://www.tempo.co/read/news/2015/03/06/063647559/Terpidana-Mati-Mary-Jane-Punya-Ayah-Angkat-di-LP
http://www.merdeka.com/peristiwa/dikawal-brimob-dan-tni-mary-jane-dipindah-ke-nusakambangan.html
http://www.tempo.co/read/news/2015/04/30/063662415/Air-Mata-Mary-Jane-pada-Menit-Akhir-Eksekusi
http://www.cnnindonesia.com/nasional/20150430112916-12-50252/kisah-mary-jane-saat-dicegat-ditarik-dari-grup-9-terpidana/
http://www.merdeka.com/peristiwa/jaksa-agung-pastikan-mary-jane-dkk-dieksekusi-lewat-tengah-malam.html
http://www.tempo.co/read/news/2015/04/10/063656706/Terpidana-Mati-Mary-Jane-Suka-Ingatkan-Salat-Tahajud
http://www.tempo.co/read/news/2015/03/10/058648555/Terpidana-Mati-Mary-Jane-Bikin-10-Kupluk-1-Bulan

画像
http://www.merdeka.com/foto/peristiwa/533305/20150428152839-intip-pembuatan-salib-nisan-untuk-para-terpidana-mati-002-isn.html
http://www.jpnn.com/read/2015/04/27/300523/Sudah-Ada-Angka-29.4.15-di-Kayu-Salib-Terpidana-Mati

 




 


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