ジョコ大統領の長男、ギブラン・ラカブミンはソロでケータリング事業を営む青年実業家ですが、 彼が別に手掛けているマルタバ・カフェ「Markobar」の壁に施されたデザインが現在、インドネシアの宗教家や政治家を中心に物議を醸しています。問題は、上記写真の「一つ目」と「三角マーク」。これがフリーメーソンだとか宗教的配慮がないとか、「悪魔のカフェ」だとかで叩かれています。そういえば去年の大統領選挙時もジョコウィはフリーメーソンだといったブラックキャンペーンがあるにはありましたが、単語的に一般庶民には意味も知名度もないフリーメーソンネタはあまり流行りませんでした。そんな回りくどい仕組みを用意せずとも、アメリカの手先とか中国の下僕と宣伝する方がわかりやすいからだと思います。 ところが今回、日本でいうと東スポ的なノリで記事を掲載するオンラインメディアmerdeka.comがこの「ジョコウィ息子の悪魔カフェの件」に便乗してインドネシア・フリーメーソンの歴史といったまとめ記事を掲載していたので、私個人的にはあまりこういうネタはあれなんですが、参考資料として少し引用してご紹介します。先に言っておきますが政財界を裏で牛耳る●△×みたいなのは出てきませんので、そういうのを期待される場合、がっかりされるであろうことを先にお伝えしておきます。
インドネシアでのフリーメーソンの歴史
インドネシアにおけるフリーメーソンの歴史は1736年に遡ります。1736年、ヤコブ・コルネリス・マチュー・ラーダーマッハー(Jacob Cornelis Matthieu Radermacher)というオランダ人がオランダ東インド会社の一団と共にバタビア(現在のジャカルタ)を訪れました。その後、ヤコブはロッジと呼ばれるフリーメーソンメンバーの活動拠点を設立しました。当時、この組織はオランダ出身の高級将校及びユダヤ商人6名のみで構成されていました。
1767年、ジャワ島でのフリーメーソンの組織化が始まりました。ロッジでの集会だけでなく、現在のガジャマダ通りやハヤム・ウルック通りにあたるモレンブリエット地域で頻繁に秘密会談が行われ、新たなロッジの設立についての話し合いが持たれました。組織は急速に発展し、Raden Adipati Tirto Koesoemo、R.M. Adipati Ario Poerbo Hadiningrat、Dr. Radjiman Wedyodiningratといった有力者がフリーメーソンに参加したと言われています。1810年、東インド総督ダーンデルスは、バタビアのフリーメーソン組織を解散させましたが、ダーンデルス政権終盤以降、フリーメーソンは新たに中国商人や現地貴族らによっても組織化されていきました。1922年の時点で、ジャワに14、スマトラに3、マッカサル、サラティガにそれぞれ1つずつのロッジが設立されました。
現在、中央ジャカルタのブディ・ウトモ通りに面する国営薬品会社Kimia Farmaの建物の一部は1848年にフリーメーソンのロッジとして建設され、De Ster in het Oosten(東の星)と呼ばれていました。当時、会員達はここでハローウィーンの様な風変りな衣装をまとい蝋燭を手に、儀式を行ってたとのことです。因みに、1926年4月30日~5月2日、ここでインドネシアの統一を謳った第一回インドネシア青年会議も開催されています。この他、現在のインドネシア国家開発計画庁庁舎も「Adhuc Stat」と呼ばれるフリーメーソンの建物でした。Adhuc Statは死者の魂を呼び戻す儀式が行われる「悪魔の館」として地元民に恐れられていたとのことです。 少しネタに走ると、この国家開発計画庁庁舎が所在するジャカルタメンテン地区は、写真の通りキリスト教の山羊の頭を持つ悪魔バフォメットの形にデザインされたとかなんだとか。こういうのは他にも色々ありますが、又別の機会に。
1945年から1950年代の間、フリーメーソンのロッジはインドネシア各地で設立され始め、地元民も参加していくようになりましたが、1961年2月、インドネシア初代大統領スカルノがフリーメーソン組織を解体、同時にその活動を禁止しました。これらは時期的に1950年代末から始まったオランダ企業接収やマレーシアとの対決政策他、海外との対決姿勢を国民に示し国内問題をかわしていた時期でもあり、又、スカルノが1959年の演説の中で述べた「インドネシアの独自性」の障害となる組織活動の禁止という項目にも該当するということで、フリーメーソンだけでなく、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、MRA、薔薇十字団などの諸団体も解散に追い込まれています。
大政翼賛以外の各組織を一元管理し又、形骸化してきたスハルト政権もフリーメーソンの活動禁止を継続しましたが、スハルト政権崩壊後、第4代インドネシア大統領アブドゥラマン・ワヒッドは大統領令No.69/2000を発行し、フリーメーソンのインドネシアでの活動を再度合法化し現在に至っています。
今回はいかがわしい系のお話は無しということで歴史的にある程度事実に近いと思う情報を掲載しました(バフォメットはネタです!)。 私は、世界の重要事項全てを一点通しで語る真理を知りませんので、こういう時こそ多元主義を尊重すべきなのかと思いました。
参考:
http://www.merdeka.com/peristiwa/sejarah-freemason-dan-lambang-mata-satu-di-indonesia.html
http://id.wikipedia.org/wiki/Freemasonry_di_Indonesia
画像:
https://ustadzrofii.wordpress.com/2012/10/27/keberadaan-freemasonry-di-indonesia/
http://www.merdeka.com/peristiwa/gambar-mata-satu-di-kedai-gibran-tidak-etis-secara-agama-dan-budaya.html