ロヒンギャ・バングラデシュ密航船インドネシア上陸

2015年5月10日以降、バングラデシュ、ミャンマーからの移民や難民が次々とマレーシア・インドネシア沿岸へ流れ着いている。 数千という密航者の規模、そしてミャンマーで迫害を受け国籍を奪われたロヒンギャの問題が顕在化したことなどで、国際的にも注目を集めている。

 

アチェ上陸 第一陣 -難民キャンプ化した密航船-

「既にマレーシアに入った。ここからは泳いで岸を目指すんだ」

5月10日、バングラデシュ人やミャンマー出身ロヒンギャ総勢約600名を乗せた密航船4隻が続けてインドネシア北アチェ沿岸に漂着した。 ある船は「既にマレーシアに入ったのでここから泳いで上陸するように」と密航者に指示し、幾人かは海に飛び込んだ。他の密航船も燃料切れなどで近海を漂流中、アチェの漁船や当局に保護された。

密航者の一人ミャンマー出身ロヒンギャのドゥス氏によると、一団はマレーシアを目指していたとのことで、当初密航業者はマレーシアまでの行程を4日間だと伝えていた。ところがこの後、4日の船旅は2か月間の船上難民キャンプと化す。出航から2週間後、各船の密航者ら600名は一隻の船に乗り移され、押し詰められた。横になるスペースはなく、膝を立てて足を腕で抱え込まねばならなかった。横になって寝ることは出来ない。姿勢を崩すと殴られた。食事は3日に1回、結果6名が病気や空腹で亡くなったという。そして、マレーシア・インドネシアの国境線近くに到達すると、船長はマレーシアに入ったとし、船員と共にスピードボートで密航船を離れてしまった。操船技術がない密航者は4日間漂流し、最終的に、北アチェで保護された。

同時期、タイではロヒンギャ難民を含む人身売買シンジケートの摘発、一斉捜査が行われていた。マレーシアへの人身売買ルートとして、タイ側国境から陸路でマレーシアへ密入国する流通ルートが出来ていたが、密航業者はタイ当局の取締りのため、タイへの上陸を断念し、海上にて船団を放棄したとみられている。

 

ロヒンギャ問題とは

150513044839_cn_rohingya_aceh_03_640x360_afp
-bbc.co.uk-

ここに出てくるロヒンギャとは、ミャンマーのラカイン州に住むスンニ派イスラームの難民で、推定人数は70万~120万人とされる。彼らはミャンマー政府から国籍を剥奪されており、国籍を持たない。Wikiによると歴史的には、東インド(現バングラデシュ)に住んでいたベンガリが、ミャンマー西部に存在したアラカン王国における従者や傭兵、又は商人としてミャンマー側へ行き来し、最終的に、バングラデシュ・ミャンマー国境地区に定住したムスリムがロヒンギャであるとしているが、その出生は明確にはされていない。第二次世界大戦後、仏教徒がマジョリティであるビルマで、ロヒンギャは特別行政区での市民権を得たが、62年の軍事クーデータ後、ネウェン軍事政権の元で、彼らは国籍法により国籍を剥奪される。又、1998年にはアウンサンスーチを支援したことにより軍事政権から迫害を受けるなどで難民化が加速、バングラデシュへ20~30万人のロヒンギャが流れた。バングラデシュは彼らの一部を難民と認定するも不法移民としてミャンマー政府への強制送還を続けている。よって、現在彼らを国民と認める国は地球上に存在しない。そんな彼らが目指す新天地がマレーシアでありオーストラリアであった。

蛇足ながら、上智大学教授、根本敬氏によると日本軍統制時代の影響は、ロヒンギャの悲劇に全く無縁という訳ではなく、著書『「ロヒンギャー問題」の歴史的背景』の中で、

「日本とイギリスがそれぞれに宗教別に地元の人々から構成される軍を作り、戦わせた」、「両者の軍事的対立は帝国主義イギリスを倒すとか、ファシスト日本を倒すという大目的ではなく、イスラム教対仏教徒の血で血を洗う民族紛争、宗教紛争と化していきました。そして、両者の間に取り返しのつかないトラウマがこの時生じるわけです」

と述べている。

※ ロヒンギャに関しては上記、上智大学教授、根本敬氏の、『「ロヒンギャー問題」の歴史的背景』が詳しい。

 

アチェ上陸 第二陣 -アッラーフ アクバルと叫び海へ飛び込む密航者-

北アチェへの密航者上陸から5日後の5月15日、同じくアチェのランサ海上で、合計677名のバングラデシュ人及び、ミャンマー出身ロヒンギャが再度、アチェの漁民らによって保護された。今回救助活動を行った漁民の一人ラフマン氏による下記の証言が、当日の興奮した状況を物語る。

「現場に着くと数百の人々が見えた。男性、女性、子供からお年寄りまでだ。皆立って外にいた。我々を見つけるや否や男達は海へ飛込み泳いでこちらへ向かってきた。それを見るのがつらかったよ。男達はヒステリックにアッラーフ アクバルと叫びながら飛び込んできたんだよ。女性や子供は船の上でじっとしていた」

密航者の救助活動のため6隻以上のランサ出身の船が動員され、結果、バングラデシュ人421名及び、ミャンマー出身のロヒンギャ256名の密航者が救助された。バングラデシュ人421名は全員男性。ロヒンギャについては女性や子供が含まれた。

 

各国から入国拒否される密航船

実はこの船、既出の北アチェ漂着密航者約600名が保護された5月10日同日、アチェ海岸から7~10マイルの地点でインドネシア海軍に一度拿捕されている。インドネシア海軍は、人道的見地から彼らに燃料と食糧を提供するとともに(密航者によるとほんの少しの食糧だったとか)、これ以上のインドネシア海域への進入を禁止、来た道を戻るように指示していた。その後、彼らは、マレーシアでも上陸拒否に遭い、最終的にアチェのランサへ漂着し、地元漁船によって保護された。彼らの道程も過酷だった。

彼らは550ドル、1000ドル、3300ドルといった渡航代金を密航業者に支払いマレーシアを目指していたか、もしくは、強制的に連れてこられた人々だ。ミャンマー出身ロヒンギャ難民のモハマッド氏によると、彼はミャンマーから一旦陸路でバングラデシュへ入国した後、航路にてマレーシアを目指したとの事で、当初はタイ経由でマレーシアへ入国予定であったがそれがかなわず、タイ海上で2か月間足らず停滞後、別船へ移動、直接マレーシアへ向かうこととなったという。

 

船上の異常な光景

(以下、同船に乗船していたロヒンギャ、サヒドゥル氏の証言を基にインドネシア上陸直前の様子を再描写する)

150514121323_thailand_rohingyas_512x288_afp_nocredit
-bbc.co.uk-

ところが、待望の陸が接近してきた頃、タイ人の船長は「もう少しでマレーシアだ」と言い残し、自らはスピードボートに乗って、船を離れてしまった。直後、インドネシア海軍が密航船に接近して来た。彼らは海軍から食糧と燃料の補給を受けたが、インドネシアへの上陸は固く禁じられ、インドネシア海域からの離脱を指示された。ところが離脱途中、エンジンが止まってしまう。流されるままに二日間漂流した後、三日目に今度はマレーシア海軍に発見され、再度食糧の補給を受けるが、やはり上陸は拒否、密航船はマレーシア海軍に曳航され、インドネシア海域で解放された。しかし、エンジンは動かない。更に船体への浸水もある。女子供は泣きだした。こういう緊迫状態の中、今度は、バングラデシュ人の集団がロヒンギャの食糧を奪い始めた。2か月間、漂流に近い航海を強いられ、食糧のストックも僅かであった。船上では、バングラデシュ人とロヒンギャの争いが始まった。しかし数に勝るバングラデシュ人は鉄柱、木片、山刀、ナイフなどでロヒンギャを圧倒し、ロヒンギャの一部は海に飛び込み難を逃れた。そこには子供や女性も含まれていたと言う。その他、バングラデシュ人に海へ放り投げられたロヒンギャもいたそうだ。約6時間後、海を漂う彼らは運よくアチェの漁民に発見されたという。

この他、航海中は飢え死にした者の他に、船長や船員に銃で撃たれ殺された者もいるとのことで、その数は100名を超えるという。射殺理由は、空腹を訴えた事らしく、これに関してはロヒンギャ、バングラデシュ人関係なく、食糧を要求した者は容赦なく撃ち殺されたとの事である。

 

次々漂着する密航船

インドネシアで上記の密航船第二陣が保護された5月15日、タイでもロヒンギャ難民300名を乗せた密航船がタイ国軍に拿捕されており、彼らはエンジンの修理や飲食料の補給を受け、タイ領域外へ送り出されている。サトゥン県知事リムシリによると「彼らはインドネシアへ向かうだろう。おそらくアチェルートだ。本当はマレーシアに行きたかったのだがそれは無理だし、タイの規制状況を見ているので、彼らはタイを目指さない」と説明し、タイ海域からインドネシアへ追い出した訳ではない点を補足した。

その後も、インドネシア・アチェ周辺には大小の密航船が漂着し、地元漁民などに保護されている。5月20日早朝には、400名以上のロヒンギャとバングラデシュ人を乗せた船が漂着しており、近海にはまだ数千名の行き場を無くしたバングラデシュ人やロヒンギャが漂流しているという。

 

ロヒンギャだけではない。難民問題と移民問題、人身売買問題、そしてインドネシアの対応

UNHCRの集計に基づくインドネシア政府の話では、5月20日時点でのデータ取得済み済み難民・移民1500名の内、少なくとも700名以上が独身男性バングラデシュ人であったとのことだ。又、在インドネシア・バングラデシュ大使は、漂着バングラデシュ人720名の保護に対しインドネシア政府へ謝意を述べると共に彼らの本国への送還を表明している。 一足先に複数の海外メディアはロヒンギャ難民問題のワントップで、この事件を取り上げたが、本件は悲劇のロヒンギャ問題だけでなく、タイ-マレーシアルートで確立する人身売買網や不法移民問題を大きく包括しており、根が深い。

CFUoju6W0AASNkH
-foreignpolicy.com-

ところで、ミャンマー出身難民に絞ってこの問題を見ると、少し意外な事実が判明する。上記、foreignpolicy.comによると、お向かいのマレーシアが8万人のミャンマー難民を受け入れているにもかかわらず、インドネシアは僅か1500名の受け入れしかしていない。日本でさえ1万名を受け入れている。ところが、今回難民の漂着場所として脚光を浴びたインドネシアには、押し寄せる難民・移民を受け入れざるを得ない大難民受入国というイメージが出来上がりつつある。 インドネシアにとって、バングラデシュ人やミャンマー出身ロヒンギャの漂着は、今後の国内外に向けた政治材料でもあり、又、既存のタイ-マレーシア人身売買ルート遮断による新たな人身売買網のターゲットとならないための対策も急務となった。 しかし、蛇足ながら念のため、根本的には、これはインドネシアの問題ではなく、ミャンマーとバングラデシュの問題であるということを付け加えておく。

最後に、インドネシア政府の密航者への保護・支援が遅れる中、アチェ州は独自に地方財政を拠出して彼らの衣食住を提供した。 市民のボランティア的な動きもみられる。多少の金銭のやり取りはあったかもしれないが、インドネシア国軍が原則、密航者に対する上陸の手助けを禁止した後も、アチェの漁民らは彼らの保護・救出を続けた。 歴史上、海洋交易の重要拠点であり、津波被害で国際支援を受けたアチェの住民らが、仕方がないとはいえ、生死の狭間から彼らを救ったのは事実であり、これは称えらえるべきだと思う。

5月20日、ロヒンギャやバングラデシュ人を含む密航者の上陸を拒否していたインドネシアとマレーシア、そしてタイ各政府は、今回の難民問題に関する緊急国際会議を行い、インドネシアとマレーシアは、「国際社会の協力を得て1年以内に第三国へ定住、又は本国送還すること」、「国際社会はロヒンギャ難民問題、バングラデシュ移民問題について特に財政的な保証を行うこと」を条件に、彼らの受け入れ・保護に合意した。タイも国際協力に同調する姿勢を見せた。尚、インドネシアでは、早々、地方紛争問題のプロ、時の副大統領ユスフ・カラが、「ロヒンギャOK。こちらで面倒見よう。問題は如何に我々が彼らの行先を見つけてやれるか。大国は難民を受け入れないと」と啖呵を切り、同日、アチェ知事、国連UNHCR・IOMと立て続けに会談を実施、新たな難民問題のスタートを切っている。

 

※ 密航者の数については現地メディア、政府とも混乱しており、これが正とは言えません。又、船上の様子も引用サイトの翻訳通りであり、事実を保証するものではありません。

 

参考:
http://www.bbc.co.uk/indonesia/laporan_khusus/laporan_khusus_pengungsi
http://www.rappler.com/world/regions/asia-pacific/indonesia/93338-672-pengungsi-bangladesh-dan-rohingya-kembali-ditemukan-nelayan-aceh
http://www.rappler.com/world/regions/asia-pacific/indonesia/92969-kisah-manusia-perahu-rohingya-terombang-ambing-di-laut
http://www.antaranews.com/berita/497157/sebagian-besar-pengungsi-lelaki-lajang-bangladesh
http://nasional.kompas.com/read/2015/05/20/17114371/Wapres.TNI.Tidak.Boleh.Lagi.Tolak.Pengungsi.Rohingya

 




 


Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/jalanx2root/indonesiashimbun.com/public_html/wp-includes/class-wp-comment-query.php on line 399

1 Trackbacks & Pingbacks

  1. 2015年インドネシアニュース・ベスト10【国際編】 – インドネシアの経済・社会・株・情報 | いんどねしあ新聞

Comments are closed.